私たちはこの人間社会の中において、ものが分かったつもりでいるところがあります。 分からないことがあっても私たちの考える中の範囲で調べ予想し予見し行動し、予想外と驚くことがあったとしてもこの世の中での出来事です。
私の価値観で物事を量るこの世界は有限の世界です。 この有限の社会で分かったつもりでも、無限の世界へ出れば、どれだけ歳をとってもどれだけ物知りであっても、無力な赤子のようなものです。
無限とは、宇宙の実感によって現れます。 宇宙と言っても月や星や天体のことではなく、地球の中で自分の主張を通しようと争っている私たちの、エゴの振りかざしが全く意味を成さない世界のことです。
宇宙に向かって、
「国土がどうのこうの」
「土地やお宝儲けがどうのこうの」
「社会や人から自分がどう評価されているのかな」
など、それら有限の社会での出来事を叫んでも意味を成しません。
しかしそういう広大無辺な宇宙の、無限の中に私はいるのです。
無限と向き合って、宇宙からのはたらきを実感するところに私のいのちの本当のすがたが明らかになります。 最も大きなものは無限です。大きなものに出遇う時、自分の小ささが明らかにされます。
大海を眺めた時に「なぜ自分はあんな小さなことでくよくよしていたのだろう?」と思ったことはありませんか。 大きなものに出遇って自分のエゴの小ささに同時に遇うのです。
エゴが大きくなる、自分そのものが大きくなってしまえば、自分の正しさを押し通そうと我を通し戦争にも発展します。 エゴとエゴがぶつかればどちらも相手が間違っていると主張するのです。
ところで、「向き合う」とは何でしょうか。 ぶつかることとは違うようです。
「面接」という言葉があります。文字だけを考えてみると「面と向かって接する」です。 AI(エーアイ)に面接とは何かを尋ねてみますと、 「主に採用や選考の場で、企業・機関の担当者が応募者と直接会って(またはオンラインで)対話し、能力、人柄、適性などを直接確認・評価する行為のこと。相互理解を深め、採用の最終判断を下すための重要なプロセス」 と答えてくれます。
面接を受ける人が採用する側から「直接にどんな人か」を値踏みされて判断されることを「面接」と言うようです。 「直接」というのは怖いものです。どんな質問が来るか分かりませんし、直に私の無知が知られることにもなります。身体の所作も含めて考え方を点検されて、不要と見なされる場合もあります。
企業の面接である場合、採用して企業に利益をもたらすかどうか、そういった条件を満たす「私」でなければなりません。
ここで面接官が宇宙だったらと考えてみましょう。 宇宙なら、この世の中での一切の物事や条件を持っていき必要がありません。地球上の比較(比べること)で一喜一憂する一切が問題となりません。
人と比べて、
「良い車や家や物やお金を持っている」
「地位がある」
「能力が優れている」
「幸せや不幸せである」
そういう比べるということにおいて本当の安らぎはないと宇宙は教えてくれます。
いのちでさえも長い短いで、
「大往生だ」とか
「早死にでかわいそうだ」とか、
勝手に比較して私たちは判断しています。
宇宙と面接しましょう。 無限と真っ直ぐに向き合ってみましょう。 私ではない私を包む大きなものが本当と気づくはずです。
限りなきものに心をたてて、本当と一つのいのちを生かさせていただきましょう。
そこには生と死の区別や比較も、小さな執われとして映っていることでしょう。
合掌
顕証寺住職